トップ・ページへ  前のページへ

沖縄(本島南部)


 南部を空港から出発して南へ、そして東へとまわってみましょう。
 ちなみに沖縄では東を「あがり」、西を「いり」と言います。太陽が上がる、入る方角だからだそうです。
 (例として、ヤマネコで有名な西表は「にしおもて」ではなく、「いりおもて」と読みます)

 

 那覇市の南にある豊見城市(とみぐすくし)の北部には旧海軍司令部壕があります。
 ここは沖縄戦において日本海軍沖縄方面根拠地隊司令部が置かれていました。
 深さ30mの地下には迷路のように壕が掘られ、司令官室、作戦室、幕僚室などが残っています。
 1945年(S20)、大田司令官をはじめ、3,700名余が自決しました。
 壕内は薄暗く、ひんやりした感じがします。

 

 豊見城市の南、本島最南端には糸満市があります。
 ここは沖縄戦で多くの犠牲者を出しました。
 それに関わる史跡も多くあります。

 

 先島諸島方面を望める喜屋武岬(きゃんみさき)の近くには平和の塔があります。
 写真のように青い海がきれいすぎて、とても、多くの犠牲者を出した場所とは思えないほどです。

 

 

 東へ進むと、ひめゆりの塔があります。
 このそばには「ひめゆり学徒隊」が自決したり、米軍に包囲され、毒ガスによって犠牲となった洞窟があります。
 この塔の前には、写真のように花束や千羽鶴が置かれております。
 左手奥にはひめゆり平和祈念資料館があり、生存者の証言集や壕の中を再現したものがあります。
 また、学徒、職員等の犠牲者200名余の遺影が悲しみを誘います。

 

 

 

 道路を挟んで向かい側においしい沖縄料理屋「雪花菜(せっかな)」があります。
 この時はソーキそばとゴーヤージュースを注文しました。
 ソーキとは豚のあばら骨のことで、煮込んであり、柔らかくなっています。
 ジュースは隣の農園で採れたものをまるしぼりしており、とてもフレッシュです。

 

 さらに東へ進むと、摩文仁(まぶに)の丘に着きます。
 この場所には1995年(H7)に終戦50周年を記念して平和の礎
(へいわのいしじ)が建てられました。
 ここには沖縄戦で亡くなった20万人以上の方々の名前が刻まれています。

 

 

 

 平和の礎は左下の写真のオブジェを中心にして円状に名前が刻まれた碑が建っています。
 この写真の突起物の方角は沖縄戦が終結した6月23日の日の出の方角だそうです。
 この場所では多くの方々が海へ向かって身を投げました。
 写真のように、ここから見える海もきれいすぎて、とても、多くの犠牲者を出した場所とは思えないほどです。